「生産性──マッキンゼーが組織と人材に求め続けるもの(伊賀泰代)」の名言をまとめていきます。
生産性
はじめに
生産性が大幅に上がるなら従来のやり方に固執する必要はない。リスクをとることも厭うべきではない。
日本における(工場以外での)生産性に関する意識の低さが、世界と戦う日本企業にとって、大きな足かせになっている。
序章
頭では生産性の重要性を理解しているつもりでも、ビジネスの前線では往々にして質より量が優先され、生産性が犠牲にされています。
第1章
今はすべての部門で働く人に、「生産性」の重要性を理解し、謙虚かつ真摯に少しでも仕事の生産性を上げるため努力することが求められている。
第2章
生産性が軽視される組織では、社員は長時間の残業を強いられるオペレーショナルな業務(定型的な作業)に忙殺され、新しいアイデアや試みに投資する時間や資金、そして気持ちの余裕を十分に確保できません。
ビジネスイノベーションが起こるには、その源として常に「問題認識」と「画期的な解決法への強い希求心」のふたつが必要です。
それらなくして「突然ものすごくいいアイデアが見つかる」などということは起こりません。
思考というのは、制限が設けられるとそれをバネにして「今いるところとは異なる次元」に入っていくことができます。
「金と手間はいくらかけてもいいから、いい人材を採用しろ!」などという生産性度外視の方針では、人海戦術(応募数という量の拡大)と条件競争しか生まれません。
今の日本の問題は、ビジネスイノベーションの少なさです。
第3章
「日本人は会議の開始時刻には厳密だが、終了時刻には極めてルーズだ。しかも誰もそのことを悪いとは思っていない」
「開始時刻にルーズなイタリア人と、終了時刻にルーズな日本人には何の違いもない」(海外ジョーク)
量のコントロールをいくら行っても、質の向上にはつながりません。
大事なことは、残業を減らすことでも残業代を減らすことでもありません。
目指すべきは「仕事の生産性を上げること」であり、その結果として残業時間、というより労働時間そのものが減るのが目指すべき姿なのです。
成果の絶対量だけを評価する組織では、誰も彼もが「より長い時間、働ける人」ばかりを求めるということです。
この方法では、一時的に成果を上げることはできても、遠からず限界が訪れます。
成果の絶対量の大きさではなく、生産性の伸びを評価する組織になる──これが今後の組織づくりにおける重要なポイントなのです。
第5章
選抜漏れの中高年の再教育、すなわち育成を諦めてしまうことの最大の問題は、彼らを諦めることが組織全体に悪影響を与えるという点にあります。
自分にそこまでの自信がない若い人たちにとっては、放置された中高年社員は、将来の自分の姿として映ります。
いずれ自分もああなるかもしれないと考えれば、彼らもまた「組織に人生を左右されない働き方」を模索し始めることでしょう。
最も必要とされているのは、「会社は、まだあなたたちに期待している」というメッセージを伝えることです。
第6章
外部要員に付加価値の低い仕事を任せてしまうと、その仕事のやり方を改善しようというインセンティブが組織から消えてしまいます。
そもそも、正社員の人件費ではやる意味がないが、派遣社員の時給なら続けてもいいという仕事に高付加価値の仕事はありません。
恒常的に皆が残業しているような部署で、「ゼロよりマシ」なレベルの仕事を行い続けるのは、明らかに非合理なのです。
本当の意味で仕事ができる人というのは、少ないインプットで高い成果の出せる生産性の高い仕事のやり方を考案し、その仕事が他の人にも可能になるよう言語化し、移植できる人です。
第7章
企業の研修とは仕事の生産性を上げるための投資です。
ところが中には、「勉強にはなったけれど、仕事の生産性にはあまり影響がない」という毒にも薬にもならないレベルの研修がたくさんあります。
第8章
アウトプットイメージをもたずに情報収集を始める人は、大量の関連情報を集めながら、ピンポイントに必要な情報を手にするまでに多大な時間を浪費してしまう。
第9章
「会議時間をできるだけ短くする」ことより、「成果をできるだけ高くする」ほうがよほど大切です。
生産性の低い会議とは、時間が長い会議のことではなく「決めるべきことが決まらない会議」のことです。
終章
現在、長時間労働は企業にとっても社会にとっても大きな問題だと認識されています。
しかし、解くべき課題は長時間労働ではなく、働いている人の生産性が低いまま放置されていることです。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
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