「父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話(ヤニス・バルファキス)」の名言をまとめていきます。
父が娘に語る経済の話
プロローグ
私たちは日替わりのニュースについて意見を交わすのに忙しく、本当に見るべきものが見えなくなっている。
第1章
歴史の中で迫害された人たちのことを、賢くないから犠牲になったのだと少しでも思いそうになったら、そんな考えは捨てたほうがいい。
農作物の生産によって、はじめて本物の経済の基本となる要素が生まれた。それが「余剰」だ。
数百万ドルがすでに手元にあれば、さらに100万ドルを稼ぐのは比較的簡単だ。しかし何も持たない人にとって、100万ドルなんて手の届かない夢だろう。
人間は、自分が何かを持っていると、それを当然の権利だと思ってしまう。
何も持たない人を見ると、同情してそんな状況に怒りを感じるけれど、自分たちの豊かさが、彼らから何かを奪った結果かもしれないとは思わない。
第2章
土地も道具も持たない人間は、労働力を売って生きていくしかない。苦役を商品にするというわけだ。
おカネは目標を叶えることを助けてくれる大切なツールかもしれない。でもいまと違って、昔はおカネ自体が目的になっていなかった。
第3章
貴族と違って、誰でも起業家にはなれた。借金を背負う覚悟と能力があれば。そして、起業家になったとたん、リソースと顧客と生き残りをかけて、誰もが必死に争いはじめた。
テクノロジーは高くついた。さらに借金を重ねなければ、技術は手に入らなかった。借金を増やせば利益が増える可能性はあるものの、うまくいかなければ破滅が待っている。
市場社会にとっての借金は、キリスト教にとっての地獄と同じだ。近寄りたくはないけれど、欠かせないものなのだ。
第4章
景気のいいときには、銀行家も起業家も、金持ちは総じて政府に反抗的だ。
しかし、自分たちのせいで金融危機が起きると、それまで舌鋒鋭く国家による経済への介入を批判してきた人たちが、いきなり国家に頼ろうとする。
第6章
どうも機械はわれわれのために奴隷のように働いているわけではないようだ。人間はむしろ機械を維持するために必死に働いているように見える。
第7章
終わりが来るとみんなが知っていれば、貨幣経済は続かない。貨幣経済は、それが続くと人々が信頼できるかどうかに、すべてがかかっている。
第8章
民主主義は不完全で腐敗しやすいが、それでも、人類全体が愚かなウイルスのように行動しないための、ただひとつの方策であることに変わりない。
エピローグ
満足と不満の両方がなければ、本物の幸福を得ることはできない。満足によって奴隷になるよりも、われわれには不満になる自由が必要なのだ。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
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