「日本人へ」の名言まとめました

「日本人へ(塩野七生)」より名言をまとめていきます。

日本人には、なぜ果断なリーダーが生まれないのか?
それを歴史的見地から語りかけてくる。

日本人へ~リーダー篇~

指導者

危機の時代は、指導者が頻繁に変わる。
首をすげ代えれば、危機も打開できるかと、人々は夢を見るのであろうか。
だがこれは、夢であって現実ではない。

本が出版されたのは2010年、連載物なので書いたのはもう少し前だろうか。
そして私が書いている今は2018年である。
2010ぐらいは、日本のトップが頻繁に変わった。
2018年の今は長く続いているが、首をすげ代えようと必死になっている。
著者は歴史家なので、この言葉は現代日本だけのことではなく、歴史的事実となる。
全く人は、歴史から何も学んでいない。

話し合い

解決策は抜本的なものであることが必要だ。
まず、当事者間での解決などという、正しくても機能しないこと明らかな偽善は捨ててかかることである。

この言葉自体は、国家間の争いについてとなる。
しかし日常生活でも同じことが言える。
誰もが平和的な話し合いでの解決の必要性を訴える。
それはここにも書いているように、正しいことだとは考える。
しかし現実的でもないのも事実だ。
好き合って結婚した者の離婚調停でも、当事者間の話し合いでは解決しないのだから。

継続性

「やる」ことよりも、「やりつづける」ことのほうが重要である。

ここでは少し言葉を変えて考えてみる。
「実行」するよりも、「メンテナンス」のほうが重要である。
実行するのは気分的にもいいものだ。
新しいことを作り上げていくのは、大変でもあるがやりがいもある。
それに対してメンテンスは地味な作業である。
出来て当たり前であるし、また「変化なしOK」もメンテナンスである。
しかし長期的に見ればメンテナンスのほうが重要なのは、誰もが納得するだろう。
しかし残念ながら、日本人の上層部はメンテナンスの重要性に気づいていない。
いや気づいているが、目立たないので目を閉じているのか。

他者

他者が考えつくことと同じことを考えていたのでは、絶対に勝てない。

まったくその通りだが、少し補足したい。
「では同じではいけないのか?」
全て違う必要はなく、むしろほとんど同じでも問題はない。
大切なのは、重要なポイントで相手よりも上を行くことだ。
例えば独創性で知られる織田信長でも、全体としたら普通である。
ただ重要な戦いや政策で独創的なことを行ったに過ぎない。
違うことばかりに注意を向けて、日常をおろそかにしてはいけない。

想像力

想像力が動き出すのは、疑問をいだいたときからだ。
疑問をいだくのは、壁に突き当たったからである。

想像力とは、相手がどのように感じるかを理解する能力だと考えている。
その点から、頭が良いとされる官僚や会社の経営者を考えてみる。
日本での頭の良さとは有名大学を出ていることである。
それは勉強が出来ただけに過ぎないが、認識としては間違いない。
その人達の多くは挫折を知らず、もちろん壁にも突き当たっていない。
もちろんその人達が悪意で物事をしているとは考えない。
しかし、「これで上手く行くはずだ!」という、自分の考えが優先されていないだろうか?
大切なのは、「受け手がどう感じるか?」であるのに。

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アマチュア

アマチュアがその道のプロさえも超えるのは、プロならば考えもしなかったことをやるときなのだ。

プロや専門家になると、どうしても固定観念が生まれる。
今までの常識は不変なものと考えてしまいがち。
しかし本来、戦いにはルールなど存在しない。
ある程度の制限としてモラルは存在するが、それはあくまで当事者間の常識に過ぎない。
その戦いにアマチュアが入ると、その常識を無視してくる。
それを「卑怯」と人は言うが、第三者の視点で見れば、全くおかしなことである。

理解力

理解する能力と説得する能力はイコールではない。

当然の事実だが、言葉を少し変えてみる。
「知っていること」と、「実行出来ること」はイコールではない。
人は知っているなら出来るはず、と勘違いしがちである。
それが事実なら、走ることを研究している科学者は、100mを10秒以内で走れることになる。
それと同じように話すことも、また実行することも、知っているだけでは出来ない。
そこから考えると、説得できない人の説得術や貧乏人の投資術でも価値がないとは限らない。

解決

重要きわまりないことゆえ何が何でも解決せねばという想いがつのりすぎると、壁に突き当たっただけで絶望してしまうことになる。

これは国家間の関係だが、個人的にも当てはまることだ。
例えば、父子で仲が悪かったとする。
親子間の不仲は重要な問題だが、母親が解決に乗り出すとどうなるだろうか?
夫は話を聞かず、子供は怒り出してしまい、疲れ果てるだけにならないか?
それなら仲が悪いのは悪いなりに相手するのが、意外と上手く行く方法では?
それが良いとは考えないが、悪いとも言えないのではないか?

歴史認識

学者たちが集まって歴史認識の共有を目指すのは、時間とカネの無駄である。

最近よく問題になっている、歴史認識についてになる。
歴史的事実は追求出来るが、歴史的認識はいろいろあって当たり前。
それを共有するために一つにするのは無理がある。
それが可能というのなら、個人レベルでも離婚の認識を一つに出来た後に言ってほしい。

単純化

単純化できなければ、百家争鳴して改革は頓挫する。

改革を完遂するのは大変ことである。
なぜならあらゆる改革に、良し悪しが幾通りもあるからだ。
その一つ一つを議論して解決するなど無理である。なにより無意味である。
そのため「イエスかノーか?」という単純な選択にすることで、方向性を付けるのが成功への近道となる。
しかし残念ながら日本人は、決まった後に文句を言うことが好きですが。

意欲

社会的に認められることなくして、どうやって意欲的になれるだろう。

この考え方は理解できる。しかし人々によって意見が別れるのも事実だ。
なぜなら意欲的にならないと、社会には認めてもらえないという考え方もあるからだ。
立場によって意見が変わるのだから、双方の歩み寄りこそ大切なのだが、残念ながらお互いを非難してばかり。

マスコミ

マスコミはにぎやかに報道するが、一般市民は具体的な成果を求めているからだ。

マスコミが間違っているとは言わないが、人気を優先しているように感じている。
「より良く」を目指しているのではなく、人々の悪意に油を注いでいるイメージだ。
その結果、具体的なプラスは生まれず、感覚的なマイナスだけが増えていく。

感想

現代社会を冷静に見つめた意見が、多数詰め込まれていた。
多くの人も賛同するとは考えている。しかし世間的には、理解されていないように感じる。
いや、分かっているけど理解したくないのだろうか?
内容の全てが正しいとは言わないが、一つの案として知るべきだろう。
現代社会を振り返るために、おすすめの一冊。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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日本人へ リーダー篇

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