「ものの見方が変わる座右の寓話(戸田智弘)」の名言まとめました

「ものの見方が変わる座右の寓話(戸田智弘)」より名言をまとめていきます。

ものの見方が変わる座右の寓話

総和

部分の総和は必ずしも全体にはならない。

少しこれだけでは分かりにくいだろう。
例えば、Aさんについて知りたいとする。
一人目の人は、「優しい人」と言っている。
二人目の人は、「カッコイイ人」と言っている。
三人目の人は、「口うるさい人」と言っている。
四人目の人は、「背の低い人」と言っている。
ここから、Aさんの全ては分かるでしょうか?
何となくイメージはできるが、それが正しいとは限らない。
全体として見ると別のイメージがあるかもしれないし、またそれぞれに個人的な主観が入っているかもしれない。
確かに、個別の情報は重要である。しかしそれが全てとは限らない。

知識

知識があればあるほど「よく見る」ことは難しくなる。

一見、「逆では?」と考えたかもしれない。
しかし知っているからと言って、適当に見ることはないですか?
プロの場合、「素人の意見など聞く必要がない」とスルーしていないですか?
知らなければ、どのようなことでも素直に見たり聞いたり出来る。
ここで少しイメージしてください。
前の会社の知識を引きずっている中途入社の人は、面倒くさくないですか?

ひらめき

ひらめきという訪問者は、忙しい人を嫌い、ぼんやりしている人を好む。

まさにその通り、という感じです。
急に必要になったものは見つからないのに、用が終わったらすぐ見つかる。
もちろん、いつもぼんやりしていてはいけない。正確には、余裕の有る無しだと考えている。
どんなに忙しい時でも、遊びの部分は必要です。

時間

自分にとって大事ではないもので時間を埋めていくと、自分にとって大事なものに割くべき時間を失ってしまう。

時間は無限ではなく有限である。そして、誰にでも平等に流れていく。
それなのに、時間の有る人と無い人がいる。それは忙しさとは、必ずしも比例していない。
もちろん、個々のスピードもあるかもしれない。
しかしそれより、不要な事をしているかしていないかの差が大きい。
全てにおいて、自分に見合った量に減らすことから始めないといけない。

効率

仕事は消費や余暇といった何か別の目的のための手段ではない───そう考えられる人は、仕事を効率だけで語ってはいけない。

少しこれだけでは分かりにくいだろう。
多くの人が仕事は生活のため、もしくはお金を稼ぐためにしていると答える。
しかし世の中には、仕事自体に価値を求めている人もいる。
給料が安くても、この仕事が好きと答える人もいる。
こういう人に効率的だからというアイデアは、必ずしも正しくない。
効率より大切なものがあるのだから。

無力と微力

人間一人の力は決して無力ではない、微力なだけである。

「自分一人が行動しても意味がない」と多くの人が言う。しかし、はたしてそうだろうか?
確かに、一人の力は小さい。しかし、「ゼロ」ではない。
そして歴史上における奇跡的な出来事のほとんどは、一人の行動から始まっている。
「意味がない」という発想は、言い訳に過ぎない。

安定

安定とはまったく変化しないということではない。
大事な部分を守りながらも上手に更新を続けていくことである。

人は安定を求める。しかし多くの人の安定は、停滞しているだけでは?
本当の意味での安定を目指したい。

後悔と反省

後悔とは過去を変えようとすること、反省とは未来を変えようとすることである。

人によっては、この二つを同じと考えているかもしれない。
しかし後悔とは、「なぜあの時こうしなかったんだ!」と過去を悔やむこと。
そして反省とは、「次同じことがあれば、このようにする!」と未来の成功を望むこと。
どちらが自分にとって好ましいか、考えるまでもない。

地獄

目標が簡単に叶うような世界は、天国ではなく地獄である。

喜びと苦しみは必ずセットになっている。
喜びだけを得るのは無理であり、苦しみを避けて喜びは得られないのだ。

一見、目標が簡単に叶うなら天国と感じるだろう。しかし本当にそうだろうか?
努力もせず東大に入学出来て、喜びはあるだろうか?
簡単に大企業に入社し、そして社長になったら嬉しいだろうか?
美人と100%の確率で恋人になれたら、恋愛の楽しみはあるのだろうか?
これではまるで、無敵モードのゲームと同じ。
結果は残せても、何の楽しさも残らず、まさに作業に過ぎない。
これとは逆に本当の喜びは、苦しみの先にある。
全国大会に優勝する学生たちオリンピックで金メダルを取る選手たち。
この喜びは努力の末につかんだからこそ、誰に取っても価値がある。
自分がもし苦しみの中にあるなら、それは地獄ではなく天国である。

未知

未来はいつでも未知である。未知だから、心配して不安になるのは当たり前である。
しかし、過剰な心配をする必要はない。あくまでも適度に心配すればいい。

心配事の全ては、これからの未来についてである。
そのため、心配事とは全て可能性に過ぎない。
そんな可能性を心配していても仕方がない。
と、気持ちでは分かっていても割り切れないですね。

評価

自分を過小評価する人よりも自分を過大評価してくれる人を選ぶことだ。

もし転職しようと相談した時、多くの人は過小評価して反対することが多い。
しかもこれは「心配している」という大義名分があるだけに、結構やっかいだ。
ただ過大評価といっても、ただ無責任に同調する人は異なる。
具体的な役に立つアドバイスをくれる人の、過大評価こそが大切である。

助言

それぞれの助言に一理あることは認めよう。しかし、一理あるにすぎないのである。

何か新しいことにチャレンジする場合、助言をくれる人は多い。
ただ直接関係ない人の助言は、全体を見ていないことが多い。
その場だけの考えであり、間違っていないが正しくないことが多い。
聞いた時に助言をしてくれるのは助かる。
しかし聞いていない時の助言は、迷惑なだけのことが多い。

未来

なるようになる。心配するな。

有名な一休和尚が亡くなる前に、一つの箱を弟子に渡した。
「一大事が生じたら、この箱を開けなさい」と伝えた箱の中身は一枚の紙。
そこに書かれていた言葉がこれになる。
一見、無責任にも見えるが真実でもある。
なるようになるものな、なんとかなる。
なるようにならないものは、なんともならない。
そのため心配ばかりしていても始まらない。
必要なのは、なるようになるために努力するだけ。
それを優しい言葉で表現している。
ただ、努力することが前提なので間違わないように。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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ものの見方が変わる 座右の寓話

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