「ひとまず、信じない(押井守)」の名言をまとめていきます。
ひとまず、信じない
序論
僕は映画監督なので、虚構の世界をみなさんに見せるのが仕事だ。つまり、いつも虚構の中で仕事をしていることになる。
だが、虚構の中に真実を宿らせる。それが僕の仕事のやり方である。
僕が認知している世界が、本当にそのままに存在するのかどうかわからないし、わかったところで他人と共有することはできない。
ものごとを突き詰めて考えていくと、すべてのものが解体する。そして、意味が消えていく。
ネットの情報は信用できない。すべてが虚偽ではなく、どこかに嘘が紛れている。
第1章
人間は孤独のうちには絶対に幸せになれない。
ある人間の幸福は、別の人間の幸福とは限らない。幸福には絶対の尺度がない。絶対の尺度がない以上、幸福を比較することも、共有することも、強要することもできない。
幸福とはつまり、それぞれの価値観に強く結びつくのである。
人間は、自分に対する認識ですら不変ではないということだ。
最も重要なことを見極める。このことが人生において最も大事なことである。
偉大な人間は「あれも、これも」とは言わない。「あれか、これか」をちゃんと言えるのである。
幻想は人を不幸にする。
リアルに目覚めた人間だけが、結局幸せになれる。
第2章
「(監督は)集合時間や食事の時間に必ず遅れて来てほしい」(カメラマンより)
第3章
ネットから情報を得る人々は、そこに真実性を求めるのではなく、自分が心地よいと思える情報を望んでおり、それがニセの情報であるかどうかは気にしない。
そもそも僕にとっては、ネットと現実を区別することすら違和感がある。
僕たちは先の大戦に突っ込んでいった先人を批評するが、では、僕らは彼らよりどれほどか利口だと言えるだろうか。
体験することは、語ることの条件とはなり得ない。
体験したことのみ語るべしというのは、一見まとまな意見のように見えて、実は重大な言論の否定である。想像力という人間の大いなる能力に対する冒瀆である。
第4章
何も持たないことが自由だと勘違いしている人たちがいる。
しかし、その考えが正しいとはとうてい思えない。
「自由」そのものに絶対の価値があるわけではない。
政治家に僕は人格すら要求しない。人格だけではとうてい処理することができない案件が、世の中には山のようにあるからこそ政治が必要なのだ。
第5章
手段が目的になったときほど怖いものはない。
たったひとりの才能のある人間が紡ぎだす物語よりも、多くの人たちが関わり、その個性がぶつかり合う映画の方が僕はずっと好きだ。
僕らは人間である。だから、人間以上に面白いものがあるはずがないのだ。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。