「ギリシア人の物語Ⅲ(塩野七生)」の名言まとめました

「ギリシア人の物語Ⅲ 新しき力(塩野七生)」より名言をまとめていきます。

ギリシア人の物語Ⅲ 新しき力

アテネ

「アテネあってのギリシア」とは、誇張でも過大評価でもなかったのだ。
2400年以上も過ぎた今でも、アテネに行けば見るものは山ほどある。
だが、スパルタにはない。文字どおり、何も無い。

古代ギリシアといえば何を連想するだろうか?
パルテノン神殿、哲学、美術品などだろうか?
それらは全てアテネあってこそ。
スパルタなども有名だが、軍事以外では何も残していない。
これは極端な言い方かもしれないが、今のギリシアの観光の全ては紀元前に反映したアテネのおかげかもしれない。

デモクラシー

より多くの人の頭脳を結集すればより良き政治が行えると思うほど、「デモクラシー」は単純には出来ていない。

デモクラシーとは民主主義のこと。
これは私たちがよく知っている政治状況を見れば一目瞭然。
選挙により当選するほど頭がいい人たちが1000人以上集まっても、生まれるのは見当違いな方向と混乱のみである。
独裁が良いとは考えていないし、独裁になどなっていはいけない。
ではどうするか?
「みんなで考えましょう」では、これまた上手くいかないのが皮肉である。

人材

大企業がふるわないのは、人間という持てる資源の活用を怠っているからだが、中小企業では、活用する意志はあっても、人間そのものが少ないのだ。

何とも皮肉な話である。大企業は人材が多いからこそ、無駄が出来てしまう。
中小企業は人材が少ないから、中小企業から抜けることが出来ない。
ここから考えると、転職するという発想は正しいのかもしれない。

寛容

寛容とは、理性的に考えたから実現するのではない。
自信を持った側が決めた場合に実現するものなのだ。

まさにその通り。自信なき者、もしくは力なき者の寛容は妥協に過ぎない。

伝統

伝統とか習慣とかは、新規の試みの妨害になる場合も少なくないのである。

伝統や習慣は大切である。
しかしそれに縛られていては、生まれるのは停滞だけ。
伝統や習慣とは、その当時の最適解であっても現在の最適解とは限らない。
伝統を踏襲しながら新たなチャレンジも行いたい。

柔軟性

何ごとも民主的に決めたいという想いゆえではあったが、かっては存在した柔軟性までも失っていた。

これはアテネの民主政についてだが、何も政治だけに限らない。
何かを决める時、多数の意見を集約しても意見が分かれるだけで、決定まで時間がかかる。
大切なのは意見が別れたとしても、最終的に決まったことに対して賛成することが必要。
しかし実際は、決まったことに対して非難の姿勢を持つことが多い。
残念ながら日本には議論の習慣がなく、あるのは口論だけである。

論理的

論理的には正しくても、人間世界でも正しいとはかぎらない。

なかなか厳しい意見ですね。
何かを决める時、正しさも大切だが、それ以上に大切なことがある。
ルールは大切だが、ルールだけが正しいと考えるとおかしくなる。
ではルールを守らないのが良いかと言えば、それも正しくない。
本当に人間世界は複雑だ。

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教養

教養とはもともと、応用可能であるからこそ、学ぶ価値もあるのだ。

個人的な意見だが、教育によって育てるのは学力では無い。
特に小学生などに対しては、知識よりも考える力を学ぶことが大切だ。
よく数学なんて実社会では役に立たないと言う人がいる。
確かに学者にでもならない限り、微分積分などは使わない。
しかし大切なのはそこではない。
微分積分を解読するステップを知ることこそが大切である。

勝利

「わたしは、勝利を盗みに行きたくない」

アレクサンドロスの名言。夜襲を提案する臣下に対して語ったこと。
夜襲による被害を考慮してだが、正々堂々と勝利したいという若者の考えとなる。

後処理

戦闘での勝利を確実にするのは、その後にどう行動するかによる。

戦闘にしろ戦争にしろ、それ自体は手段に過ぎない。
何かを達成するための手段として、戦闘を選んでいる。
それなのに戦い自体を目的とし、後処理が雑になることがある。
手段と目的を勘違いしてはいけない。

情報

偽の疑いがあろうと情報はすべて上に告げるのが、下にある者の義務である。
上がってきた情報にどう対処するかは、上に立つ者が判断することであるのだから。
「変化なし」でも、情報であることでは変わりはないからである。

情報についての考え方。不要と考える情報を上に連絡しないことは多い。
むしろ必要な情報だけを連絡することは、優秀とすら考えられている。
この考え方に対するアンチテーゼとなる。
そしてここで考えたいのは、情報を連絡する方ではない。
大切なのは連絡を受ける方である。
不要な情報でも「変化なし」の情報でも、自ら聞くという体制が出来ていてこそ、裸の王様にならずにいられるのである。

兵站

兵站を重要視しない司令官は、戦場ではいかに勇猛果敢でも、勝利者には絶対になれない。
つまり、戦闘では勝っても、戦争には勝てないのだ。

日本人は個人の努力を美化しすぎるために、体制を整えることを軽視している。
大切なのは勝てる状況を作ること。
「今ある体制で勝て」というのは、命令者の怠慢以外の何物でもない。
必要以上の余裕に意味は無いが、必要ギリギリでは本来は勝てない。

特殊事情

広大な国の統治は、軍事力や警察力だけでは絶対に長つづきしない。
その地域の特殊事情にも配慮しないかぎり、大国の統治はできないのである。

人は同じではない。国が違えば考え方が変わる。時代が違えば、考え方が違うのは当たり前。
それに正解はなく、ただの事実でしか無い。
それを考えずに自分の流儀を押しつけて上手く行くことはない。
そこから考えると、日本の流儀を他国でも採用するのが正しいとは限らない。

不幸

だが、なぜか不幸は、状況が好転したときを見計らったかのように襲ってくるものだ。

個人単位で考えても、この考えには同意してしまう。
落ち着いたと思ったら、途端に問題が発生する。
「見られてる?」と思うぐらい、絶妙なタイミングが多い。
なぜですかね?

アレクサンドロス

アレクサンドロスに従いていくのは大変な苦労であったのは確かだが、退屈だけはしなかったにちがいない。

アレクサンドロスの歴史は、戦争と遠征の継続である。
事実として周りの主要メンバーは、10年以上自国に戻っていない。
そして未知の場所への冒険でもある。大変ではあるが、充実していたに違いない。
その上、連戦連勝だったのだから。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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ギリシア人の物語Ⅰ 民主政のはじまり
ギリシア人の物語Ⅱ 民主政の成熟と崩壊
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