「呉漢(宮城谷昌光)」の名言まとめました

「呉漢(宮城谷昌光)」より名言をまとめていきます。

呉漢(上)

見聞

見聞を広めるのも、考えものです。
識れば知るほど、真実から遠ざかることになりかねない。

知識を広めることは良いことであり、決して悪いことではない。
しかし知識を得れば、それによる固定観念が生まれる。
その思い込みは、真実を見えなくする可能性がある。
知識に振り回されてはいけない。

志とは、ある意味、雲に梯子をかけるにひとしい。
とてもできるはずがないと他人に嗤われてこそ、ほんとうの志だ。

人が理解できる考えは、しょせんその程度に過ぎない。
笑われ理解できない考えこそ、本当に高い目標となる。
また理解できないからこそ、新しい価値が生まれる。
人に反対されることは、大きな成功の可能性を秘めている。

無関係

この世で自分に無関係なことはひとつもない。

他人事と思っていても、突然自分に関係することがある。
その時に「まさか」と思っても、遅いことが多い。
常に自分に置き換えて、行動を進めていきたい。

上から

人を上から視ているかぎり、生涯、なにも視えない。

上から目線で話していると、その時は気持ちがいいかもしれない。
しかしそこから得るものはなく、ましてその人の価値が視えていない。
いかなる人にも優れた点はある。
もちろんその中には、自分にとって好ましくないこともある。
しかし見極める「目」だけは持っていたい。

分かりやすさ

いつの世も、人民はわかりやすさを喜ぶ。

良い意味にも悪い意味にも考えることが出来る。
現代は、あらゆるものに対応しようとしすぎて複雑過ぎる。

理想論

理想がすぎると悪になる。
頭のよいやつにかぎって、おのれの都合でしか、ほかをみない。

世の中には良かれと思って始めても、結果が悪くなることがある。
理屈では上手くいくとしても、人に合うとは限らない。
頭の良い人ほど、自分の考えに固執してしまう。
人のことを考えすぎると、けっきょく何も行えない。
本当に物事を決めるのは難しい。

偉業

人の偉業がどの程度であるかをみきわめられない者は、大きくおどろかない。
おどろかない者に、たいした者はいない。

人の成功に対して、ケチをつける人がいる。
「大したことはない」と言って、認めようとしない。
その行動は、自分の存在を大きく見せようとするもの。
しかしその行動こそ、自分を小さく見せている。

タイミング

物には、売りどきと買いどきがあります。
人もおなじで、おなじ行動と態度が、ときがちがえば、その価値は霄壤(しょうじょう)ほどもちがってしまいます。

霄壤とは、「天と地」や「月とスッポン」のこと。
昨日良かったことが、今日も良いとは限らない。
早ければ良いわけではなく、遅ければ悪いわけではない。
しかもこのタイミングには、物理的なものもあれば心理的なものもある。
どうせ事を行うなら、効果的に行いたい。

なんじが仇を討った直後から、なんじが仇にされて、追われることになる。
そういう一生でいいのか。

仇の相手にも肉親や関係している人がいる。
自分にとっては仇でも、周りの人にとっては大事な人であることも多い。
そのため誰かが終わらせなければ、復讐の連鎖が続いていく。
許すことが正しいとは考えていない。
もちろん仇を討つことが正しいとも考えていない。
ただ言えることは、仇が成功したことにより得るものは自己満足でしかない。
むしろ失うものの方が多いのは間違いない。
どちらに比重を置くべきかは、本人にしか決められない。

天下

天下のためにおこなうことだ、恐れることはなにもない。

人のためになることと、法律とが相反する場合がある。この時は判断が非常に難しい。
人のためになると考えることが、人のためになるとは限らない。
法律よりも優先することがあると考えても、結果としてはただの犯罪者になってしまう。
人の考えも法律も時代と共に変わってしまう。
「天」のためなら、全てが許されるのだろうか?

利益

利益を求めて行動を起こすと、計算が狂いやすい。

利益を求めずに行動を起こすことは、ほとんどない。
しかし利益しか求めないとしたら、その行動に意味はあるのだろうか?
利益しか求めないとしたら近視眼的になり、予定通りになどいかないだろう。

突然

突然、その日はやってくるものだ。そのときに、うろたえずにすむ。
これから、そういう日にそなえた生きかたをしてみよ。

ある人物から呉漢が言われたこと。チャンスは誰にでも訪れる。
しかしそのチャンスを捕まえることが出来る人は少ない。
それをただ「見のがした」や「出遅れた」で逃すのはもったいない。
「その時」を期待して、常に準備はしておきたい。

呉漢(下)

世評

世評は恐ろしい力をもつ。

庶民一人の力は小さい。少しぐらい集まったぐらいでは、力などまだ知れている。
しかし総意が集まった時の力は、いかなる王朝ですら対応することは出来ない。
「少しぐらいは」という気持ちが、全てをダメにしてしまう。

気運

時を失った者に、気運の盛り上がりはない。

皇帝に即位するのを、かたくなに固辞する劉秀。
それを配下が説得した時に話したこと。
多くの人が望んでいるが自分の気持ちを優先し、その要望に応えようとしない。
しかしその要望がいつまでも続くとは限らない。
あの時は良くても、今は無理な時がある。タイミングを逃した者に未来は訪れない。

赦すこと

のちのことを想えば、赦さぬは負け、赦す者が勝つ。
単純な悪は、善に直しやすいが、偽善はどうにもならず、赦しがたい。

戦いの後、赦すか赦さないかは非常に大きな問題となる。
その時に明確なものがないと、せっかくの勝利すら台無しとなる。
現代的な感覚だと、全て赦すことが正しいように言われている。
しかし本当にそうだろうか?
例えば、生活が成り立たなくなり泥棒をした。
このような人物は、赦すことで立ち直ってくれる。
次に、偽物の新興宗教を起こし、信者より金銭を巻き上げたとする。
このような人物が赦されることで変わるとは、とても考えることは出来ない。
この場合は赦さないことが正しいと考える。
これは一例に過ぎないが、全てを赦すことが正しわけではないことを明記する。

不遇

貧困と不遇は忌むべきものであるが、人によっては、その耐えがたい苦しみが莫大な宝に変わる。

貧困や不遇になど、なりたいと思う人はいない。
しかしその状況に陥っている人は、確実に存在する。
それを体験しているのと、知識として知っている人では深さが違う。
現代において法律を作っている人は、残念ながら後者ではないだろうか。

過去

過去は、参考にすることはできても、模倣することはできない。

過去や歴史を知ることは大切である。
しかし残念ながら、同じ状況は二度と存在しない。
似ている時はあっても、同じ対処で成功するとは限らない。
自分が知っていることは、当然相手も知っている。
同じことをしているようでは、相手が上を行ってしまう。

学問

学問をする者は、益を求めすぎる。
おのれを助けもせず、まったく益にならぬ時間をどれほど持つかによって、人の大小は定まるといってよい。

ここでいう「益」とは、利益だけでなく結果も含んでいる。
また学問も勉強というよりは、「頭のいい人」と解釈したい。
何事も結果だけを考えていると、先が知れている。
無駄なことや遊びの要素を取り入れていきたい。

勝利の後

城を攻めるむずかしさは、落としたあとにある。

これは城攻めに関してだが、ここでは「戦い」について考えたい。
スポーツなどは特に考える必要はない。
不正などをしない限り勝ちは勝ちであり、負けは負けである。
しかし戦いや戦争の場合、勝てばいいものではない。
ナポレオンはロシアに局地戦で勝利したため、より大きな敗北を味わうことになる。
戦闘や城攻めは勝つことが目的ではなく、それで得られる目的のための手段に過ぎない。
後のことを考えずに始めた戦いは、敗北の始まりとなる。

疑い

この世には、疑って得るものは、なにもない。

呉漢がある若者に語ったこと。しかしこの言葉を盲信してはいけない。
確かに、信頼すべき人を疑うようでは、何も得ることは出来ない。
しかし全ての人を疑わずに信じることは正しいのだろうか?
これに「はい」と答える人はいないだろう。
疑うべき人に対して全てを疑う必要はないが、注意は必要になる。
結局、これを見極めることこそが大切となる。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

アマゾンリンク
呉漢 – 上下巻セット (単行本)

→楽毅
→インデックス

スポンサーリンク

関連記事&スポンサーリンク