「湖底の城」の名言まとめました

「湖底の城(宮城谷昌光)」より名言をまとめていきます。

中国の春秋時代、楚で生まれた伍子胥は父に伍奢(ごしゃ)、兄に伍尚がいる。
楚は大国であるが王族支配の国であり、伍子胥が国を動かす立場になることは訪れない。
今はただ未来に希望を持ち、人との出会いを重ね、自分を磨く日々が続くのであった。
後に呉に渡り勇名を馳せた名将・伍子胥と越の名将・范蠡の物語。

1巻

本当の善とは

善人だけが集まっても、組織を形成すると、かならず悪をおこなう。
善を行うことは、悪をともなうといってよい。
それを承知で善政をおこなった者こそ、たたえられるべきであろう。

伍子胥の父親である伍奢の言葉になります。
非常に現実を理解した言葉と考えている。悪があっても良いと言っているわけではない。
悪があることを前提に、善をおこなう必要があると理解している。
戦争が悪い、犯罪が悪い、いじめが悪い、虐待が悪いなど、誰でも悪いことは知っている。
けど現実的には無くならない。
じゃあ、「その人たちを全て排除すれば」となるが、それでも解決できない。
「水清ければ大魚無し」ですから。
それを理解し、バランスよく物事を進めることができる人が好ましい。
ただ、その人にも悪の面があることを理解する必要はありますが。

同じことでも人による

身内のことばは、甘すぎるか、辛すぎるか、どちらかになる。
屯は胥をひそかに尊敬している。尊敬している者のことばは、胸に滲み、腑に落ちる。

言葉の通り、身内ほど難しい。
親からすれば書いている通りの対応になるし、子供からすれば親の言うことはなかなか素直には聞けないもの。
それに比べて、自分が認めている人からの言葉は本当に素直に入ってくる。
やっぱり言葉は、誰が言ったかが大きいですね。

何かを得るためには

求めなければ、得られないさ。

何かを得るためには、そのための努力が必要になる。
ただ「ほしい」だけで、手に入れば誰も苦労はしない。
何かをなす時には熱望するほど求める必要があり、そのための努力も必要です。

感想

中国春秋時代でも南方の呉(三国時代の呉とは異なる)と越の話は少ないため貴重です。
決して位も高くない家の次男に過ぎない伍子胥が、自分の信じる道に向かって進んでいくのは爽快そのもの。
まだまだ戦いもなく地味な展開ですが、これから先に期待している。

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宮城谷 昌光
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