「ギリシア人の物語」の名言まとめました

「ギリシア人の物語(塩野七生)」より名言をまとめていきます。

古代ギリシアの民主政はいかにして生まれ活用され、困難を乗り越えてきたのか?
アテネやスパルタ等おなじみの都市国家が出て来る世界は、ロマンを感じること間違いなし。

ギリシア人の物語1

特徴

ギリシア人は短距離走者であり、ローマ人は長距離走者であったのだ。

よくギリシア・ローマ時代という感じで、一括りに言われることがある。
歴史に興味のない人なら、単なる場所の違い程度に捉えている人も多いでしょう。
しかし性格から考え方まで全然違う。
実際、著者の「ローマ人の物語」は全15巻、「ギリシア人の物語」は全3巻で終わる。

男社会

観客席には、ギリシア人以外の外国人も奴隷でさえも坐れたのに、女の観戦は認められていなかった。
ギリシア人の世界はローマ人の世界以上に、男たちの世界なのである。

オリンピックの元にになっている、オリンピアの競技会について。
古代ギリシアは神話のイメージが強いため、男女がそれぞれに活躍しているイメージだが、実際は違った。
女性の著者なら、このような事柄に対して批判的な書き方を良くするが、ここではタダの事実として淡々と書かれている。

当時のギリシア

オリンピックとは、戦いばかりしていた古代のギリシア人から生まれた、人間性に深く基づいた「知恵」であったのだった。

とにかく当時のギリシアは、それぞれの都市国家で戦争ばかりしていた。
その状況を少しで改善したいと考えて始まったのが、四年に一度のオリンピアでの競技会。
現在のオリンピックのように、各都市国家から代表が選ばれて競い合い、勝利者は栄光につつまれる。
しかも、その間は戦争も休戦になる。
こうなってみると欲望というより、戦争自体を楽しんでいたのではと考えてしまう。

スパルタ精神

敵には絶対に、背を見せてはならない。戦場では、勝つか、死ぬか、しかない。

スパルタ人の戦いに望む考え方。
奴隷が強制されてではなく、小さいときからの教育で、そのような思想を叩き込まれている。
だから戦いにおいては強力である。しかし柔軟性にかけるとも言える。
現在でも「スパルタ式」という言葉があるぐらいだが、絶対に間違っている。

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正しさと狂信

社会の正し手と自認している人ほど、狂信的になり、執念の虜になりやすいのだ。

スパルタの役職である、「エフォロス(5人の監督官)」について評したこと。
監督官や監査官など調べる側の立場の人は、自分の正しさを信じている。
そして自分の正しさと異なることは、全て悪と考える。
自分が悪と内心で思っている人は、優しくは無いまでも限度を知っている。
しかし自分が正しいと考えている人の悪に対する行動は、何をしてもOK的な感じになる。
「なぜなら悪だから!!」
平和を訴える人ほど、自分と意見の異なる人に対して暴力的なのはなぜですかね?

ギリシア人気質

ギリシア人は、真・善・美の世界の住人なのだ。

「美は善であるとともに真である」
単純にゴロが良かったのでピックアップしました。
ちなみにこれは、男色についての考え方。

軍事力と政治力

征服は、もちろんのこと軍事力の優劣で決まる。
だが、軍事力による征服が敗者から受け入れられるか否かは、政治力の優劣で決まるのである。

強力な軍事国家が、征服地の統治ミスより瓦解した例は多数見られる。
また軍事力と政治力はイコールではない。
特に個人において、両方に卓越した能力を発揮する方がマレである。
よって武官と文官の争いはなくならない。

文化文明

時代を画するほどの文化文明は、異分子との接触による刺激がないところには生まれない。
経済力があれば、文化文明が生まれるとはかぎらない。だが、ないところには生まれない。

日本でも異文化交流が無いわけではないが、全体的に少ないのは間違いない。
統一した考えがプラスに働くこともあるが、違う思想を取り入れなければ、これから先は難しいのかもしれない。

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民主と専制

民主政体を維持しながら国をまとめていくのも難事だが、専制君主国ならば容易かと思うとまったくそうではない。

民主政体にしても専制君主国にしても完全ではない。
言い方を変えれば、どちらにも長所があり短所がある。
古代においては「どちらが正しいか?」ではなく、「どちらが自分達に合っているか?」だったのでしょうね。

民主政体の敵

しかし、「形」としての民主政体と、それを実際に機能させることはちがう。
民主主義にとっての最大の敵は、「機能しない」ことであり、「結果が出ない」ことなのだ。

外敵が現れた時の対応について。
「民主主義は正しい」と私は考えていますが、意思決定の遅さや衆愚政治といわれるなど、緊急時に弱い体制でもある。
「従来の民主主義を守ったために負けました」では話にならない。
そのため民主主義は結果を出さなければいけない。
その対策として緊急時には特別処置がよく取られる。
それ自体は正しいが、抜け穴を見つけて悪用する人も出てくる。
政体も日々のメンテナンスが必要です。

レオニダス

「武器を差し出せば各自の国への自由な帰国を許す」
「モラン・ラベ (取りに来たらよかろう)」

ベルシア王の使者とスパルタのレオニダスとの引見シーン。
降伏勧告に対しての返事であり、かなり有名な言葉です。
「取りに来たらよかろう」。かっこいいですね。また、その結果が悲劇的なのも。

説得力

説得力とは、他者をも自分の考えに巻き込む能力である。
他者の意見を尊重し、それを受け入れ歩み寄ることによって、着地点を見出すことではない。

説得力と調整力の違いですかね?
これを見ると、説得力には人としての魅力が必要になる。

サラミスの海戦

持てる力では劣勢でも、持てる力の活用では優れていた側が勝った戦闘(バトル)でもあった。

歴史上、最初の海戦と言われる「サラミスの海戦」をまとめたもの。
数やサイズではペルシアより劣っていたギリシア側が、自分達の有利な状況に持ち込むことにより勝利する。
大には大の、小には小の長所と短所がある。
数が多ければ有利だが、不利に働くこともある。
小が真正面から戦うのは、「勇気」ではなく「無策」だということを覚えておきたい。

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兵站

優れた武将として知られた人に、兵站を重要視しなかった人はいない。
兵站を無視していては、戦闘にも勝てない。
現地調達に頼り兵士たちの精神力だけに頼っていては、総合的な力の結集でもある戦争には勝てないのだ。

日本人は忍耐強くて優秀だと考えられている。
だからなのか兵站に対する意識が弱いのでは?
兵站について考えた時、日本人では一人の人物が目に浮かぶ。
誰もが知っている「織田信長」です。
私も詳しいことは知らないが、信長だけが長期間の多数の兵士運用を行っている。
専業の兵士を採用したり尾張は裕福な土地だが、同様のことは多くの地方でも出来たはず。
それでも実際に出来たのは信長だけ。
そして私が知る限り、信長軍が兵站で苦しんで負けた事例は記憶にない。
暴君的なイメージが強く人使いも荒かったが、大局的な目線が当時の人物の中では飛び抜けていたと考えている。
多くの日本人は新会社や新部門に対して都合よく「任せている」だけで、フォローが出来ていないように感じる。

富者の愚

これほどの富に恵まれていながら、クセルクセルはなぜ、これとは比べようもないくらいに貧しいギリシアを征服したいと思ったのだろうか。

クセルクセスとはペルシア王のこと。
ペルシアとの戦いに勝利した後、ギリシアの総司令官パウサニアスが語った言葉になります。
当時はギリシアより、オリエントのペルシアの方が遥かに裕福です。
またペルシアは巨大であり、ギリシアを得ることによる具体的な利益は少なかったはず。
「それなのに、なぜ?」、という疑問。しかし、この答えは簡単でしょう。
単純に「大国だから」です。
大国だから弱い国には優しくなれても、強い国には優しくなれない。
頭を下げる国には優しくなれても、拒否する国には無関心ではいられない。
理屈ではなく、感情の部分と言えるでしょう。

奇策

奇策とは、くり返せないから「奇策」なのである。

まさにその通り。しかし繰り返して失敗するのも、歴史上の事実。
繰り返しが出来て、勝率が高い方法。それを人は「正攻法」と呼ぶ。

既成事実と正論

既成事実を前にして正論を説かれると、本心からは納得しなくても、まあそれで良しとしようという、対応も穏やかに変わる場合が多い。

アテネの城塞化工事に対して、スパルタから非難がきた。
それを正当化するために使った策略。
ここで現代に変えて考えてみる。
たとえば「ダムを作りたい」や「高速道路を通したい」と民衆に確認しても、コスト面や利用面のマイナス要素を考えて、必ずしも賛成してもらえるとは限らない。
そこで何の確認もせずに工事を進めた後、民衆に確認するとどうなるでしょう?
どうしても既に作ってある分のコストに目が行ってしまう。
そこで安全面や利便性が良くなるとの正論を展開する。
そうなると「潰すのももったいないから、まーいいか」となる。
このやり方が正しいとは思わない。しかし、そういう一面があるのも事実。
これを「政治力」というのか「悪辣」というのか、私には分かりません。

哲学と歴史

人間とは、偉大なことでもやれる一方で、どうしようもない愚かなこともやってしまう生き物なのである。
このやっかいな生き物である人間を、理性に目覚めさせようとして生まれたのが「哲学」だ。
反対に、人間の賢さも愚かさもひっくるめて、そのすべてを書いていくのが「歴史」である。
この二つが、ギリシア人の創造になったのも、偶然ではないのであった。

本巻の最後のまとめとして、書かれている言葉になります。
特別な言葉ではないが感慨深いものがある。
哲学と歴史。年を取るごとに更に興味が湧いてくる分野です。

ギリシア人の物語2

個人と国家

義に篤いとか正直であるとかは、個々の人間関係ならば称賛に値する「徳」だが、国家の間となるとそうとはかぎらないのが政治の世界である。

当たり前のことであり、誰でも知っていること。
しかし多くの場合、出来ていない現実がある。
例えば現代において、政治家を選ぶ時どうしているだろうか?
どうしても聞こえのいいことを語る人や、誠実そうな人を選ぶ。
しかし言ったから出来るわけではなく、誠実だから能力があるわけではない。
しかし不誠実だが能力のある人を選ぶのが、正しいとは限らない。
平時と特別時を分けて考えないといけないのだが、そう簡単にはいかない。
本当に政治家を選ぶのは難しい。

繁栄の継続

繁栄は、努力や苦労をしなくても謳歌できると思うと、完全にまちがう。
繁栄を謳歌したければ、それに要する努力や苦労を欠くわけにはいかない。

繁栄を築いた人は、その苦労を知っている。
しかし繁栄しか知らない人は、自然に繁栄していると錯覚する。
繁栄は自分に与えられた権利だと考えてしまう。
堕落するな、と言う方が難しい。

演説の後

ペリクレスの演説を聴く人は、最後は常に将来への希望を抱いて聴き終わる。

アテネに長期の繁栄をもたらした、ペリクレスの演説について。
人は感情で動く生き物である。
悲観よりは楽観を好む。暗い未来よりは明るい未来を希望する。
有識者は、これを「まやかし」と言うかもしれない。
しかし人には「先に気持ちあり」が大切だ。
希望無くして明るい未来は存在しないだろう。

チャンス

まず、「チャンス」があった。

絶頂期のアテネについて。
人は安定を望んでいる。しかし、それと同じぐらい成功を望んでいる。
そこで日本を考えてい見る。いろいろと良いことは言われている。
しかし「日本にはチャンスがある」という人が、はたしているだろうか。

同盟

同盟とて、不断の「メンテナンス」を欠いては、機能の持続は望めない。

同盟するのは利用価値があるからです。
言い方を変えれば、価値が無ければ同盟はすぐ解消される。
そのため常にお互いの価値を確認しないといけない。
これは結婚相手や友達にも同じことが言える。
相手にも打算があることを忘れていませんか?

現実主義者

現実主義者が誤りを犯すのは、相手側も現実的に考えるだろうからバカなまねはしないにちがいない、と思い込んだときであると言う。

なかなか厳しい意見ですね。ここで注目したいのは、「バカなまね」について。
自分にとって「バカなまね」は、相手にとっての「バカなまね」とは限らない。
相手にとっては非常に有効な手段かもしれない。自分視点でものを考えるのは危険である。

リーダー

民主政体を機能させるのに、そのリーダーまでが民主的である必要はない。

事実ですが、肯定しにくい言葉になります。
民主的というのは、単純にいえば多数決で決めること。
しかし多数決の結果が正しいと限らないのは、誰もが知っている。
そのためリーダーには、正しいとされる少数意見を採用するだけの力が求められる。
決断力とも言い換えられる。
これは強権なのだろうか? それとも優秀なのだろうか?
その判断を国民が正しく出来るのだろうか。

強国

強国になるのも難事だが、強国でありつづけるに至っては、並大抵の努力では成し遂げられない。

歴史上、強国になった後、すぐに崩壊する例は多数ある。
これは攻めの能力と守りの能力が、異なることに由来するためだろう。
多くの場合、初期の国家は攻めの人が強権を持つ。
しかし守りの能力が無いため問題を起こしてしまう。
それを防ぐために安定に入ると、かっての将軍たちを処罰するという悲劇も発生する。
そして最大の問題は内部で権力争いが起こること。

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消極戦法

消極戦法をつづけるのは、誰にとっても容易ではない。忍耐力とて限度はある。

消極戦法によって得られるのは、せいぜい現状維持。
高いレベルならいいが、低いレベルでの現状維持は受け入れ難い。
初めは許せても、徐々に我慢できなくなる。
もちろん何かを待っている消極戦法には意味がある。
しかし残念ながら、ほとんどの消極戦法は「アイデアがない」が本音だろう。

一人の人物

このペリクレスの死が、アテネにとって、いやギリシア全体にとって、終わりの始まりになるという想いは、誰一人として抱いていなかった。

国や社会がシステムではなく、結局人で動いているのが分かります。
また誰一人として、偉大さを知らなかったという点に注目したい。
誰もが「ペリクレスのおかげ」とは考えていなかった。
人に感じさせずに、よりよい方向に導く。政治家としては理想的。

民主と衆愚

「民主政」も「衆愚政」も、銀で鋳造されているということならば同じの、銀貨の表裏でしかない。

衆愚政は民主政の一状態にすぎない。そして民衆は自分たちが衆愚だとは考えない。
衆愚と考えないのは、「自分たちは正しい」と考えるから。
民衆が愚かな判断をし、愚かな行動をする。これを止めることは民主政では難しい。
残念ながら民主政を選んだ時点で、この欠点とは向き合わないといけない。

覇権国

覇権国は、他の国がやっているのだから自分たちもやる、では、覇権を維持しつづけることはできない。
他の国ならば考えもしない寛容なやり方で対処してこそ、覇権国でありつづけることができるのである。

覇権国とは、周りの国に影響を与える強国のこと。
強国のため、その気になれば力で抑えることが出来る。
そして、それがもっとも簡単な方法でもある。
しかし力で抑えるには限界があり、すぐに破錠するのは歴史的事実。
公平な寛容さ(甘さではない)が必要なのだが、これがもっとも難しい。

皮肉

若さは、老いる。未熟も、成熟に達しない前に枯れてしまう。
無知を知れ、も、学校の教科書と化して以後は、人々の心から柔軟性を失わせるのに役立っただけ。
この中で唯一変わらないのは、人間どもの愚かさだ。
これだけは、永遠に変わらずに存続する。

アテネの風刺喜劇作家アリストファーネスが、劇中の役者に語らせたこと。
肯定する気にはなれないが、否定できないのは残念だ。後は自己判断で。

好戦的と戦争

好戦的だから、戦争をつづけるのではない。
退くに退けない状態になってしまった以上は先に進むしかない、という想いが、戦争をつづけさせてしまうのである。

勝っているからもう少し勝ちたい。負けているから引き分けにまで持っていきたい。
引き分けだから、少しでも勝ちに持っていきたい。
これだけ被害を出したのだから、少しでも取り返したい。
理由はいろいろあるだろう。
しかし第三者から見れば、正しいことは誰にでも分かる。
おそらくは当事者も分かっているだろう。
ただ分かっているからといって、出来るわけではない。
人間の愚かさでもあり、面白いところでもある。

始まりと結果

悪く始まり、悪く進み、最悪で終わった。

アテネによるシチリア遠征について、作者が考えたこと。
見ているだけで苦しくなりますね。こんなことだけには、なりたくないものです。

戦争と人類

人類は、戦争そのものが嫌いなのではない。
長期戦になり、しかも敗色が濃くなった戦争が嫌いなのである。

著者はこの言葉の前に、「残念なことではあるけれど」と書いている。
多くの人に「戦争は嫌いですか?」と聞けば、「嫌い」と答えるだろう。
そして太平洋戦争や日中戦争などは憎んでもいるだろう。
しかし日清・日露戦争はどう思っているだろうか?
少なくとも嫌っていないのではないか?
戦争という一点においては全く同じ。ただ期間と結果が違うだけ。
そのことから、まことに残念ながら著者の言っていることは正しい。

迷走

迷走しながら急坂をころげ落ちるアテネを救う手段は、神さえも見いだせない。

アリストファーネスが書いた喜劇「蛙」の結論になります。
落ちていない時には手段はいくらでもある。
しかし一度落ち始めると止めるのは容易ではない。
だから落ちないように、日頃から注意しないといけないのは誰もが知っている。
だたそれが出来ないのが、国であり人である。

正しさ

人間にとっての最大の敵は、他の誰でもなく、自分自身なのである。
アテネ人は、自分たち自身に敗れたのである。言い換えれば、自滅したのである。

ソクラテスの教えとして、最後に書かれていること。
外部からの攻撃だけで滅びた国は少ないと言われる。
ほとんどが内部の問題から瓦解している。
人は過去から現在まで同じことを繰り返し、未来も同じなのであろう。

ギリシア人の物語3

アテネ

「アテネあってのギリシア」とは、誇張でも過大評価でもなかったのだ。
2400年以上も過ぎた今でも、アテネに行けば見るものは山ほどある。
だが、スパルタにはない。文字どおり、何も無い。

古代ギリシアといえば何を連想するだろうか?
パルテノン神殿、哲学、美術品などだろうか?
それらは全てアテネあってこそ。
スパルタなども有名だが、軍事以外では何も残していない。
これは極端な言い方かもしれないが、今のギリシアの観光の全ては紀元前に反映したアテネのおかげかもしれない。

デモクラシー

より多くの人の頭脳を結集すればより良き政治が行えると思うほど、「デモクラシー」は単純には出来ていない。

デモクラシーとは民主主義のこと。
これは私たちがよく知っている政治状況を見れば一目瞭然。
選挙により当選するほど頭がいい人たちが1000人以上集まっても、生まれるのは見当違いな方向と混乱のみである。
独裁が良いとは考えていないし、独裁になどなっていはいけない。
ではどうするか?
「みんなで考えましょう」では、これまた上手くいかないのが皮肉である。

人材

大企業がふるわないのは、人間という持てる資源の活用を怠っているからだが、中小企業では、活用する意志はあっても、人間そのものが少ないのだ。

何とも皮肉な話である。大企業は人材が多いからこそ、無駄が出来てしまう。
中小企業は人材が少ないから、中小企業から抜けることが出来ない。
ここから考えると、転職するという発想は正しいのかもしれない。

寛容

寛容とは、理性的に考えたから実現するのではない。
自信を持った側が決めた場合に実現するものなのだ。

まさにその通り。自信なき者、もしくは力なき者の寛容は妥協に過ぎない。

伝統

伝統とか習慣とかは、新規の試みの妨害になる場合も少なくないのである。

伝統や習慣は大切である。
しかしそれに縛られていては、生まれるのは停滞だけ。
伝統や習慣とは、その当時の最適解であっても現在の最適解とは限らない。
伝統を踏襲しながら新たなチャレンジも行いたい。

柔軟性

何ごとも民主的に決めたいという想いゆえではあったが、かっては存在した柔軟性までも失っていた。

これはアテネの民主政についてだが、何も政治だけに限らない。
何かを决める時、多数の意見を集約しても意見が分かれるだけで、決定まで時間がかかる。
大切なのは意見が別れたとしても、最終的に決まったことに対して賛成することが必要。
しかし実際は、決まったことに対して非難の姿勢を持つことが多い。
残念ながら日本には議論の習慣がなく、あるのは口論だけである。

論理的

論理的には正しくても、人間世界でも正しいとはかぎらない。

なかなか厳しい意見ですね。
何かを决める時、正しさも大切だが、それ以上に大切なことがある。
ルールは大切だが、ルールだけが正しいと考えるとおかしくなる。
ではルールを守らないのが良いかと言えば、それも正しくない。
本当に人間世界は複雑だ。

教養

教養とはもともと、応用可能であるからこそ、学ぶ価値もあるのだ。

個人的な意見だが、教育によって育てるのは学力では無い。
特に小学生などに対しては、知識よりも考える力を学ぶことが大切だ。
よく数学なんて実社会では役に立たないと言う人がいる。
確かに学者にでもならない限り、微分積分などは使わない。
しかし大切なのはそこではない。
微分積分を解読するステップを知ることこそが大切である。

勝利

「わたしは、勝利を盗みに行きたくない」

アレクサンドロスの名言。夜襲を提案する臣下に対して語ったこと。
夜襲による被害を考慮してだが、正々堂々と勝利したいという若者の考えとなる。

後処理

戦闘での勝利を確実にするのは、その後にどう行動するかによる。

戦闘にしろ戦争にしろ、それ自体は手段に過ぎない。
何かを達成するための手段として、戦闘を選んでいる。
それなのに戦い自体を目的とし、後処理が雑になることがある。
手段と目的を勘違いしてはいけない。

情報

偽の疑いがあろうと情報はすべて上に告げるのが、下にある者の義務である。
上がってきた情報にどう対処するかは、上に立つ者が判断することであるのだから。
「変化なし」でも、情報であることでは変わりはないからである。

情報についての考え方。不要と考える情報を上に連絡しないことは多い。
むしろ必要な情報だけを連絡することは、優秀とすら考えられている。
この考え方に対するアンチテーゼとなる。
そしてここで考えたいのは、情報を連絡する方ではない。
大切なのは連絡を受ける方である。
不要な情報でも「変化なし」の情報でも、自ら聞くという体制が出来ていてこそ、裸の王様にならずにいられるのである。

兵站

兵站を重要視しない司令官は、戦場ではいかに勇猛果敢でも、勝利者には絶対になれない。
つまり、戦闘では勝っても、戦争には勝てないのだ。

日本人は個人の努力を美化しすぎるために、体制を整えることを軽視している。
大切なのは勝てる状況を作ること。
「今ある体制で勝て」というのは、命令者の怠慢以外の何物でもない。
必要以上の余裕に意味は無いが、必要ギリギリでは本来は勝てない。

特殊事情

広大な国の統治は、軍事力や警察力だけでは絶対に長つづきしない。
その地域の特殊事情にも配慮しないかぎり、大国の統治はできないのである。

人は同じではない。国が違えば考え方が変わる。時代が違えば、考え方が違うのは当たり前。
それに正解はなく、ただの事実でしか無い。
それを考えずに自分の流儀を押しつけて上手く行くことはない。
そこから考えると、日本の流儀を他国でも採用するのが正しいとは限らない。

不幸

だが、なぜか不幸は、状況が好転したときを見計らったかのように襲ってくるものだ。

個人単位で考えても、この考えには同意してしまう。
落ち着いたと思ったら、途端に問題が発生する。
「見られてる?」と思うぐらい、絶妙なタイミングが多い。
なぜですかね?

アレクサンドロス

アレクサンドロスに従いていくのは大変な苦労であったのは確かだが、退屈だけはしなかったにちがいない。

アレクサンドロスの歴史は、戦争と遠征の継続である。
事実として周りの主要メンバーは、10年以上自国に戻っていない。
そして未知の場所への冒険でもある。大変ではあるが、充実していたに違いない。
その上、連戦連勝だったのだから。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 
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ギリシア人の物語Ⅰ 民主政のはじまり
ギリシア人の物語Ⅱ 民主政の成熟と崩壊
ギリシア人の物語Ⅲ 新しき力

→「ギリシア人の物語」よりアレクサンドロスの名言
→「ローマ人の物語」よりユリウス・カエサルの名言
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