「最後の医者は桜を見上げて君を想う」の名言まとめました

「最後の医者は桜を見上げて君を想う(二宮敦人)」より名言をまとめていきます。

最後まで奇跡を信じて、治療を諦めない福原。
延命治療より患者の望みを優先し、結果として死神と呼ばれる桐子。
末期患者との対応をつづる物語。

第三者

病気と戦う人のために、人は何かをしたいんだよ。

お見舞いの「千羽鶴」を無駄と話す桐子に対して、同じ医者の音山が話したこと。
実際の治療が出来ない第三者として、祈りを込めるのは間違いではない。
心情的にもよく分かる。
しかしそれに効果があるのかは、誰にも分からない。
桐子は医療費の足しとして「現金」がいいと話している。
もちろんそれが一番助かるのだが、なぜか送った人が悪く言われる時がある。

理解

理解してくれ、とは一言もいっていないんだけどな。
僕たちが歩み寄るべきは患者であって、医者同士が理解し合う必要なんてないだろう。

延命治療を了承していた患者が、桐子との面談により延命治療を断ることを決断する。
そして亡くなってしまうため、責められた桐子が反論した言葉になる。
桐子は延命治療を断らせた訳ではない。
延命治療を本当に望んでいるかを考えさせただけに過ぎない。
論理的な正しさは桐子にあると考える。
しかし生理的に、この考え方は受け入れられない人が多い。

代償

どこまで受け入れられますか。
具体的にどこまでだったら、自分の命の対価に差し出せますか。

桐子が延命治療を受ける患者に問いかけたこと。
現代治療は完璧ではなく、例えば「抗がん剤」に副作用があることは誰でも知っている。
何かの病気を削除するために、食事や声などに影響が出ることもある。
ただそれは結果として失うのであって、自分から言えることではない。
これも正しい質問ではあるが、普通の人が受け入れることが出来る質問ではない。

自己満足

僕たち医者は患者を救おうとするあまり、時として病気との戦いを強いるのです。
最後まで、ありとあらゆる方法を使って死から遠ざけようとする。
患者の家族も、それを望む。
だけどそれは、はたして患者が本当に望んでいた生でしょうか?
医者や家族の自己満足ではないか?

これも桐子の言葉だが、決して「死」が正しいと言ってる訳ではない。
あくまで望んでいるのはどちらなのかを問いかけている。
しかし当人も、自分で選ぶのは難しい。
そして周りの人間も、自分の意志手で選ぶのは不可能に近い。
だからこそ本音を知る後押しが必要なのかもしれないが、それが正しいのかも分からない。

奇跡と残酷

奇跡の存在を患者に押し付ける。
それがどれだけ残酷なことなのか、わかっているのか?

延命治療中に奇跡が起きる可能性があるため、絶対に諦めてはいけないと話す福原。
その考えを押し付けることの残酷さを話す、桐子の言葉になる。
医者が奇跡と言ってるのだから、ほとんど起きないことである。
それをただ待つだけならいいが、苦痛を伴うことが多いのが事実となる。
多くの人が前者を評価するだろう。
しかし当事者にとって、大勢の人の評価などどうでもいいだろう。

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困難

困難は、前に進まない理由にならないさ。何とかするんだよ。

医大に入学した生徒に、ALS(筋萎縮性側索硬化症)が発症する。
担当医は医者になるのはもちろん、大学に通うのも困難と話す。
しかし奇跡や可能性を信じる福原は、いくらでも対応方法があることを話していく。
対応方法があるのは事実である。それを実行する人も素晴らしい。
しかし「実行しなさい」と後押しすることが、正しいのかは分からない。
困難に立ち向かう権利と同じぐらい、立ち向かわない権利もあるのだから。

友達

病気で死んでいく人にしてあげられることって、普段私たちが想像しているよりもずっと...何も、無いんだよ。

ALSになった少女の所に、大学の同級生がお見舞いに行く。
しかし二度と来ないように言われた帰り道、友達が話したことになる。
多少時間が掛かっても復帰できる場合には、いろいろと出来ることがある。
しかし動くことも満足に出来ず、余命1年も無いとしたら判断が難しい。
ドラマなら何かする方が正しい感じに発展するが、現実はどうだろうか?

世界

世界って、生きていく人のための場所なんですよね。
自分が病気になって、初めて知りました。
世界は私を”近いうちにいなくなる人”として扱わざるを得ない。

ALSに掛かっている少女が話したこと。
このようになってしまうと、関係者以外との接触は無くなってしまう。
ボランティアは別として、一般的な人との関係は無くなってしまうだろう。
これは病気だけに限らない。
人は自分の利益にならない人は、無いものとして扱いがち。
残念ながら、この現実はなかなか変わらない。

迷い・悩み

俺が探し続けていたものは、俺が医者になってやりたかったことは、すぐそばにあったのだ。
それは、迷うということ。患者と一緒に迷い、悩む。
答えが出せないとしても、その苦しさを分かち合う。それでよかったのだ。

福原と桐子という両極端の医者に接するあまり、自分が分からなくなっていた音山。
ALSの少女と向き合うことで、自分の方向を見つけていく。
「なるほど」と納得する気持ちと、「いいのか?」と疑問を持つ気持ちが交錯する。
確かに患者にとっては同じ悩みを持ち、共感できる存在かもしれない。
しかしそれが医者の仕事かと言えば、違うようにも感じてしまう。
このような医者ばかりは問題かもしれないが、このような医者がいるのはいいことかも。

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病院と患者

病院に必要とされる医者よりも、患者に必要とされる医者の方が大事だ。
そう思うようになった。

福原と桐子と接する内、考え方が変わってきた音山の言葉になる。
なるほど、もっともな考え方です。しかし同時に、難しい考え方でもある。
医者とはいえ、労働者であることは違いない。
サラリーマンでいえば、「会社に必要とされるより顧客に必要とされる」となる。
顧客に必要とされたために、会社に必要とされることはある。
しかし実際は、会社に必要とされるため、顧客に必要とされる行動をするのが限界と考える。
内部で必要とされなければ発言権を失い、結局は周りに必要とされる行動は取れない。
独立を考えてるなら、それが正しいでしょうけど。

当事者

病気になった当人の意思に関係なく、周りの人間としては...やはり、命の「長さ」の方に価値を置いてしまう。
いや、でもそんなことはとっくにわかっていたはずなのに。

桐子の知っている人物が、末期がんの状態と分かる。
今までは自分の考えが正しいと思っていたが、いざ当事者になると迷ってしまう。
知っていることと出来ることは違う。
それが正しいのを知っていても、出来ないのが人である。
むしろこれは当然のことだろう。

患者の気持ち

患者の気持ちをわかったつもりでいたけれど、実際にはその一割も理解していなかったようだ。
やはり健康な状態と、病気の状態には天と地ほどの隔たりがあるのだ。

実際に病気になってしまった医者の言葉になる。
ここでは「患者」になっているが、これを「弱者」に変えることも出来る。
金持ちは貧乏人のことが分からない。
経営者は労働者のことが分からない。
いじめる側はいじめられる側のことが分からない。
それなのに「弱者」のことを語るのは、「強者」であることが多い。
世界が分かり合えないのは、むしろ当然かもしれない。
そして残念ながら弱者も強者になると、自分が弱者であったことを忘れがち。

望み

だけど...俺の望みは”ただ生きる”ことではないんだよ。

末期の状態ながら、あるイレギュラーな依頼をする患者。
止める医者に対して、患者が話したこと。
1年をただ生きるか、意味ある1ヶ月を生きるか?
どちらが正しいかは分からず、またどちらも間違いではない。
最後ぐらいは本人の意思を尊重したいところだが。

理想と現実

理想だけを胸に、虚しく吠えていたって現実は変わらない。
金と力を手に入れて、初めて理想は現実に顕現するのだ。

自分の親が経営する病院を引き継いで、より望まれる医療を目指す福原。
そのためには、方法は問わない考え方となる。
何かをするには力がいる。しかし力は普通では手に入らない。
力を手に入れるために、違法なことをしていいとは思わない。
しかし本当に何かを求めるなら、卑怯なことぐらいは許容したい所だ。

感想

非常に読み応えのある内容でした。
平易な文章でありながら、奥深くを問いかける。
個人的には桐子に共感するが、当事者としたら別の考えが出ただろう。
医療における医者と患者を問いかける意味で、おすすめの一冊です。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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